終末のランナー

本気じゃないけど、走ることが好き。珈琲やMISFIT、本とかの気晴らし記事もアップしてます。

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世界史の入り口に立つー若い読者のための世界史ー

物語として歴史を学ぶ

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高校生の頃、世界史を履修していた。

しかし、受けたは良いが古今東西から湧き出てくる暗号のような無機的文字に興味を持てず、放課後の補習をやりながら何とか再履修を間逃れた記憶が薄っすら残っている。

当然、その後には何も頭に残ってはいなかった。歴史は僕の中からほとんど消え去っていたのだ。

・・・

そして、ジュブナイルなあの頃から加速度的に年は過ぎ去り、少年と青年の24時間が不平等なほどに違うことを身をもって理解する30歳手前のいま。過去は記憶の中でまだらに、そして発酵され、(それはまるでトムとジェリーに出て来そうなチーズを連想させる)、当時とは違うものへと変わり果ててゆく。確かなものは、年号や事件(出来事)だけのように思えてくる。でも、年表を眺めても、ちっとも面白くはないだろう。なるほど、歪曲すれば歴史認識は誤った方向へと向かっていく。それは確かなことだ。テレビを付ければ、認識の違いが外交を複雑にし、紛争や戦争を引き起こすのだから。しかし、一方で素材(事実)を活かしながら味付けをすることは入門という意味では許されるのではないだろうか。それはつまり、物語として読む歴史ということ。人は、昔も今も物語を好みます。生得的に物語を欲する生き物なのでしょう。

 

どこでもドアでいろんな場所に行きたいのです

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とにかく、世界に対する知識を幾ばくでも取り入れたい。そう考えている。僕に足りないもの…、それは世界に開く扉。ドラえもんの「どこでもドア」が欲しいのです。要するに外界へアクセスするリテラシーです。どこでもドアは行きたい“場所”を思い起こしながらドアを開きます。知っている“場所”が僕の行ける範囲。裏を返せば、知らない場所には一生行けません。 人類は、アフリカ大陸から出発し、今では小さな島国を含め、全地球へと広がっていきました。それは、食料を求めてのことかもしれません。でも僕にはそれだけではない気がします。好奇心というものが人類を森から陸へ追い出し、大海原を渡らせ、宇宙へと向かわせているんじゃないか。そう思えるのです。

強制参加の人生ゲーム。この世界のルールを知るために。

僕は、途中参加でこの世界にやってきました。ルールも知らないし、何がゴールかも判然としないのです。無作為に日本という国に生まれ、日本語を身につけ、義務教育の他に大学院まで学びました。でも、はっきりとしたゴールがわかりません。ある人は、社長を目指し、一流の車、一流の食事、一流の家をゴールに掲げ、駆け上がっているかもしれません。ある人は、家族を幸せにし、孫を抱けることが人生のゴールというかもしれません。どれが正しいとか、間違っているのかはわかりませんし、どれもある程度正しいとも思います。そして、ルールは義務教育で学んできたこと以外にも多くありそうです。

若い読者のための世界史

前置きが長すぎました。とにかく、ある程度のメタファーとしての「場所」を知っておくことはメタファーとしての「どこでもドア」を有効に使えるはずです。そこで冒頭で述べた世界史の話に戻るのですが、まずはおおまかな世界地図が欲しい。そして世界の歴史を学ぶのはあながち間違いではないように思えます。

 

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

 

 

 

若い読者のための世界史(下) - 原始から現代まで (中公文庫)

若い読者のための世界史(下) - 原始から現代まで (中公文庫)

 

 

その入門書として、「若い読者のための世界史(上)/(下)」を選びました。

決して、若者ではない僕が一からやり直すには最良の手引きとなります。当然、読んで終わりにしたくないので、読んだ内容をピックアップしながら、ここに書き記していきます。

そして、手に入れた場所をどこでもドアで訪ねます。そこで新たな場所との出会いが待っているのでしょう。